お客様インタビュー|麦 様

麦 嘉輝さんプロフィール

  • 国籍: 中国
  • 性別: 男性
  • 年齢: 31歳
  • 在留資格: 「経営・管理」
  • 日本語能力試験: N1合格

 

神戸芸術工科大学先端芸術学部映像表現学科をアニメーション専攻で卒業され、同大学大学院芸術工学研究科を総合アート&デザイン専攻で卒業された後、アニメーションの会社を創業されました。
大手企業からの受注もされている実力者です。

 

麦 嘉輝さん|インタビュー

行政書士 泉(以下 泉):日本に行きたいと思ったきっかけは何でしょうか?最初は「留学」でしたね。

麦 嘉輝 様(以下 麦):留学ですね。きっかけは、小さい頃から絵を描いていたので、絵が好きでした。アニメも好きなので、両方ができる仕事を、と考えていたら、アニメを勉強したいなと思いました。当時は、中国のアニメはあまりなく、ほぼゼロに近いですね。
それで、最初は勉強して中国に戻って、監督にでもなれたらいいなと思ったのが留学のきっかけです。ジブリとかが特に好きで、憧れを持って日本にきました。

泉:なるほど。日本の漫画・アニメですと、やはり皆さんはジブリが好きですね。

麦:人にもよりますね。僕は高校生の時に、勉強にも力を入れていましたけれども、ちょっと反発と言いますか。中国では朝から晩までずっと勉強します。それで僕は、夜1時ぐらいから、こっそりアニメを見ていました。大体毎日1時から4時までアニメを見て、6時にまた起きて勉強するという感じでした。

泉:2時間しか寝ていないではないですか。

麦:そうです。そこまで好きなのです。新番組とか、様々なアニメを見ていました。その中で、やはりジブリが好きだと思いました。

泉:ほう、なるほど。日本の北斗の拳、キャプテン翼などはあまり見ませんでしょうか

麦:入手するのが大変な時代でしたので。あと、僕はずっと中高生向けの寮に住んでいましたので、手に入れる手段がなかったですね。

 

泉:日本には、何年に来られたんですか?

麦:2011年です。今年は12年目ですね。
2011年の地震の後にすぐに来ました。3月に地震があって、4月に来ました。

泉:日本語の勉強は、ほぼ独学ですか?

麦:最初は、長らくアニメを見ていましたので、多少は語感の理解がありました。ひらがな・カタカナは本を読んで、自分で学びました。今はどうなのかは分かりませんが、当時は、必ず一年間か一年半ぐらいは、日本語学校に入らないといけないシステムでしたので、日本にきてから1年間は大阪の日本語学校に通っていましたね。

泉:その時は既にある程度は日本語が話せるようになりました?

麦:はい、全部片言ですが。正しい日本語ではありませんでした。ですが、やはり日本語学校に通うのと、通わないのとでは、恐らく全然違います。日本語学校で、正しい日本語を学べます。僕の通っていた日本語学校も良かったです。大阪日本語教育センターというところです。

泉:日本語が上達するために、何か工夫したことはありますか?

麦:工夫したことは、まず、自分を環境に、「溶かす」・「なじませる」こと。環境にもよりますが、僕の時は大体の大学では、留学生が少なかったですね。特に、うちの学校は芸術系なので、学費が高いですし、アニメを勉強する人というのはわずかなのです。ですから、その環境の中で、外国人がいませんので、頑張って喋らないといけません。そういう環境が3、4年ぐらい続きましたので、大分喋れるようになりました。

泉:そうですね。やはり日本語喋らないといけない環境ですと、上達しますよね。

麦:そうです。今の新しい留学生は、僕たちの世代と考え方が違うように感じます。なじませるというか、そういうところの考え方がまず違います。むしろ、なじませるのではなく、自分から何かを出したいという風に感じます。芸術面でもそうですが、普通はここで落ち着いて、日本の文化などを学んだり、吸収したりして、どんどん自分のものに変えていきます。しかし、今の、今のという言い方は如何なものかとも思いますが(笑)、少し考え方が変わりました。僕らの世代と比べれば、まず自分の個性を出したいというのが先に行っています。そこでぶつかって、またこうしたほうが良いなどと考えて、またやり方や考え方が変わります。順番が少し違います。

泉:出した個性がそのまま合えばいいですが、合わなかったら、遠回りになりますね。

麦:そうですね。とはいえ、人それぞれですので。

 

泉:今回は「経営・管理」在留資格変更許可を申請しましたが、最初から「経営・管理」と決めていましたか?もしくは、「技術・人文知識・国際業務」など他の在留資格と迷って「経営・管理」に決められましたか?

麦:ほぼ迷わずに、です。やはりアーティストなので、自分で経営したいです(笑)。最後は自分のものを出さないといけませんので、自分を出せる場所、自分の個性を出せる場所、自分色を出せる場所というのは、自分で作らないと、ほぼありませんね。延々と探すのも大変ですが、かと言って、自分が慣れない空間にいても、時間が掛かりますし、しょうがないと思います。

泉:(雇用される立場だと)出したいものを出せない可能性もありますね。

麦:それもそうですね。一番きっかけになったのは、今からすれば大分前ですが、大学を卒業する前に、就職活動をしていた時のことです。アニメスタジオは、関西ではなく関東のほうが多いですので、そこで、背景を扱うところはどのような感じなんだろうと、スタジオを見て回ってきましたが、大体のところは、空気がとても重くて。
そして、十何年間も長きにわたり背景の仕事をしている先輩がいまして、その姿を見ていると、十何年この仕事をしていても、恐らくあまり変わらないと、おまけに僕は外国人ですし、尚更でしょうと思ってしまいました。別に良いか悪いかではなく、僕には多分ここの仕事はできないわと感じたのです。
こうした流れで、いつか、自分のところで仕事をして、明るいところを作りたい、と思いました。

泉:私も、就職活動の時に最終面接まで行った会社で、そこに勤めている先輩の目が死んでいるんですよ。先輩に聞いても、やめたほうがいいと言われました。それぐらいですから、絶対に楽しい仕事ではないと。

麦:そうですね。目が死んでいると分かっていて、危ないと思ってしまいますね。

泉:そう言われて、行きたいとなかなか思いませんよね。給料は確かに良いと思いますが、仕事は本当に楽しくないと思いますので。

麦:先ほどの話に戻りますが、在留資格についても、色々と考えていましたが、学部を卒業する時は、就職を辞めて、大学院に行きました。大学院に行きましたら、考え方が大分変って、人との付き合い方なども、変わりました。また、そこで、僕は師匠と知り合いました。師匠とは、一緒に大学に行っていました。それから、大学院にも行きました。師匠は今年でもう62歳ですが、大学院を受験して受かりました。僕たちはいつもお互いから勉強し合っていました。ちょうど、師匠はアニメーターで、未だに現役です。しかも、美術専門ですので、まさに僕が目指すところとぴったりで、運命の出会いだと感じました。僕は昔から絵が好きなんですが、絵の勉強をしていませんでした。なぜかと言いますと、中国ではやはり成績の悪い人が芸術を学ぶというイメージが強く、僕は学生時代に成績が良かったもので、両親からも反対されました。そこでちょっと、反発とかもしていました。
両親には、勉強しますから、日本の大学に行かせてくれたら、後の道は自分で歩くわと言いました。そういう独立志向がありましたね。

 

泉:留学生の時に、アルバイトをしましたか?

麦:日本語学校の留学生だった時は、うちの学校はアルバイト禁止でした。大阪日本語教育センターというところですが、週に28時間以内でもアルバイトはダメでした。理由としては、きちんと勉強してくださいということです。ですから、寮も安く、一か月あたり2万円ぐらいでした。それから、学費も比較的に安いですね。今は上がったかもしれませんが、当時は70万円/年でした。勉強は、朝の9時から午後の5時まで、長くやっていますので、バイトはできません。しかも、住んでいる寮には門限があり、11時までには帰らないといけませんでしたから、その点からも、アルバイトは無理でした。

泉:在留資格の申請相談で当所に来られる前に、誰かに相談したりしましたでしょうか?自分で決めて自分で事務所を探していましたでしょうか?

麦:行政書士事務所は、董さんが探してくれました。僕はその辺のことが結構苦手と言いますか、探すのも苦手で、資料などを見ると、頭がくらくらしてしまいます(笑)。事務的な事が苦手ですね。
実は、業務委託で、会社で仕事していた時期があり、その時に、仕事中にいきなり董さんから電話が掛かって来て、一緒に会社をやりませんかと。多分、董さんは前職の会社ではあまり楽しくなかったからだと思います。僕もその時に、こういうチャンスもあるんだと思い、何も準備もせずに、「じゃあ、やります」と答えました。それほど計画的ではなく、参考になれるかはわかりませんが、本当に僕の「経営・管理」の道はそこからでした。それで、おそらく董さんも様々な行政書士のところを回って、やはり外国人がダメだったり、中国人の事務所の場合は中国語サービスを理由に値段が張ったりすることもありました。値段は別としても、やはりお付き合いの態度などから、ちょっと危なくて心配だと思いました。

泉:うちの事務所は大丈夫ですか?(笑)

麦:いやいや、安心感があります。(笑)

 

泉:短いスパンで、次にやりたいことはありますか?仕事のことでもいいですし、プライベートのことでもいいです。例えば、結婚など。

麦:そうですね。ちょうど先月から、彼女が引越してきて、今は同棲しています。まだお買い物など、バタバタしている段階です。彼女は現在大学院の博士課程に通っていて、神戸外大で中国語の勉強をしています。勉強といいますか、中国語の文法などを研究しています。学業が終わりましたら、結婚する予定ですが、まだ董さんにも言っていません。

泉:記事にしていいでしょうか(笑)

麦:董さんに見せなければいいですね。(笑)いや、別に内緒にはしていませんけれども。
あとは、会社の売上を伸ばすこと。それも、目標の1つですね。2年内には1000万円を目指そうと思っています。

泉:それは新事業の展開なども考えられていますでしょうか?

麦:それも考えていますが、最もこのままではいけないと感じたのは、今はほとんど下請けをしていて、前と同じ仕事を続けていることですかね。もちろん、そういった仕事は今後も継続しますが、やはり変わらなければいけないと思ったのは、今、ほとんど中国からの仕事が多いことです。それでは、なぜここにいるのかという意味が分からなくなるかもしれないと思いました。そうならないためには、ここでしかできないこと、使命みたいなものを見つけることが必要だと思います。
そこで、問題にぶつかることがあります。まず、技術問題ですね。それから、人手不足という問題もあります。人手不足はまた別な問題ですが、まずは技術問題、様々なものが作れるのかなどですね。今年は、董さんと役割分担して仕事を分けていましたので、今はアニメの部分は僕しかしていません。では、一人で何ができるか、そして、彼女と何か一緒に出来ないかということを、彼女と一緒に考えています。まだ迷っていますが。

 

泉:永住または帰化については、考えたことはありますか?

麦:永住は前から考えていました。もらえるなら、永住を取得するのがベストですね。今ももちろん考えていますし、目指していますけれども、どんどん遠ざかっている気がしますね(笑)。おそらく永住を取得する一番近いルートは、経営をせずに、契約社員になり、次に社員になって、永住を申請するというところでしょうか。今は、社員から経営に舵取りをしましたので、経営からまた上を目指すと、かなり時間が掛かるなと思いました。3、4年程度で到底できるものではないと思いますので、今は、そこまで永住を取得しようと考えていませんですよね。むしろ、僕の彼女のほうが、先に永住を取得できるかもしれません。博士を卒業していたら、僕よりは永住申請には全然有利だと思いますね。経営からは難しいかなと思います。売上にも関係がありますので、きっちりと売上高を確保できる人ならいいかもしれません。「経営・管理」のビザを取ろうと考えている方は、多分、まずは自分の予定年収から考えたほうがいいと思います。年収が1000万円でしたら、全然経営・管理を検討してもいいと思いますが、300万円以下ならば、厳しいですね。

泉:大変堅実に考えられていますね。

麦:ちょっと記事としては夢を持たせた方がいいかもしれませんが。

泉:いえいえ、とても大事なことだと思います。勢いだけで会社を始めようとする人が非常に多く、それが悪いとは言いませんが、もし一年で終わると意味が無いのではと思います。やはり夢を持って経営管理を始められていますので、長く続けて欲しいですし、そのような方には麦さんの堅実な姿勢が参考になると思います。業務を広げようとし過ぎると、なかなかうまくいかなかったりしますので、やはり堅実さも大事かなと思います。

 

泉:今、麦さんの事業の形は、合同会社ですよね。将来的にビジネスが盛り上がってきましたら、合同から株式会社にする、支店を作るなどのことも、視野に入れていますでしょうか。

麦:ありますけれども、まず現実的に考えなければならないと思います。こちらの業界は、従業者の中でも技術者が一番大事ですね。沢山の技術者が必要ですよね。技術者が多く増えますと、管理する人も必要となりますね。なので、セットで人材を探さないといけませんよね。

泉:管理する人も、技術があるほうが良いのでしょうか。

麦:なくてもいいですが。ありますと、なぜうちの会社にきたのと逆に思ってしまいますね(笑)。
こちらからは、恐らくあまり条件をださないほうが良いかもしれないと思います。ただ、技術者については、まずインターンとして来てほしいです。例えば、3か月ぐらい、インターンとして入ってもらって…

泉:一度来てもらって、実力を見るということでしょうか。

麦:そうですね。実力を見るといいますか。これから育つ、育てるのもいいですよ。

泉:育つ見込みがあるかどうかを判断するということでしょうか。見たらすぐに分かるのでしょうね。

麦:分かりますが、本当に人が少ないですね。ピタッと合う人が少ないですし、うちの会社の場合はさらに難しいと思います。

泉:学校の後輩などは?

麦:学校の後輩でも全然いいです。それに、今僕の師匠が京都精華大学で講師をしていて、今月から常勤の先生になると思います。師匠はちょこちょこうちの会社に顔を出してくれて、新人教育も引き受けてくれました。大学と仕事とは違いますので、インターンや研修の時は、いっぱい勉強させたらいいですが、実際に仕事ともなりますと、本当にこの仕事に耐えられるかが重要です。

泉:そうですね。研修の時にはそこまで言わなくてもいいですが、仕事の場合はシビアなことも言いますよね。

麦:特に、自分でも良くないと思っていますが、うちの会社は残業が多いですね。残業も多く、早く描かなければいけません。長くやっていますと本当に夢がなくなるという現実があります。かと言って、僕と同じ考え方で仕事をしてくれとは言えないのではありませんか。また、現実問題として、残業してもらいましたら、残業手当を出さないといけないと思いますので、それを出せませんから残業はしないでくださいとしています。そうしますと、仕事が本当に終わらなくなりますので、責めている訳ではありませんが、終わらない仕事の分は全部僕がしないといけなくなります。

泉:会社の経営を始める際の協力者は董さんですね。他に、ご家族の協力はいかがでしたか。会社を日本で経営してビザを取るという話は、当然されていましたね。

麦:話しはしました、もちろん(笑)。ですが、ほとんど、協力は無かったと思います。

泉:応援する、または反対するなど、そのような反応は?

麦:どちらもありませんでしたね。反対というより賛成のほうが多いですが、私が自分でやるわと言い出しましたので…うちの家族は、そういう家庭と言いますか。愛し合っていますけれども、言い方が悪いですが、ただの他人ですよね。

泉:自分のことはしっかりと自分でしなさいということですね。

麦:小中高は全部学校の寮に住んでいましたので、家にいる時間がなく、未だに親との接し方は分かりません。今も毎日考えているほど、本当に分かりません。実家に帰っても、ホテルに泊まる感じがしますね。何もありませんし、ベッドだけ置いています。仕事も全くありませんので、やることもありません。

泉:お客さんという感じですね。

麦:お客さんですね。なので、親と話している時は大分おとなしくなります(笑)。
話しを戻しますと、会社の協力者は、董さんと、師匠ですね。伊藤さんと言う方です。伊藤さんは技術面でよくアドバイスしてくれます。

泉:最初に仕事をくれるなど、協力的にしてくれた人または会社はありますか?

麦:はい、いますね。最初に仕事で協力してくれたのは中国の会社で、元々知っていたところです。そちらの知り合いが仕事を紹介してくれたのがスタートです。最初はそちらからの紹介が多かったですね。それから、日本の方もいます。僕は大学時代に上村という先生の助手をしていまして、その時から、ずっと一緒にオリジナルアニメなどを製作したりしています。今は、「世のため人のためアニメシリーズ」という番組を作っていて、来月からまた出ます。そのような方から、いっぱい仕事をもらっています。

泉:某大手おもちゃ会社や、人気テレビアニメ関連の仕事は、ご自身で獲得されたのでしょうか。

麦:そうですね。WeChatで、日本アニメ業界にいる中国人のグループがあり、うちの会社も入っています。メンバーには某大手おもちゃ会社など様々な会社に勤めている方がいますが、背景の技術者の人は本当に少なく、しょっちゅう仕事をもらえますね。急ぎの仕事が多いですが、うちとしては、急ぎの仕事はギャラが高いので、急ぎでも全然いいです。よその会社が描き終われない仕事があったら、全部うちがもらうという意気込みです。

 

泉:経営管理のビザを取得する前に、会社の運営や事業の手伝いなどされたご経験はありましたでしょうか?初の経営でしょうか?

麦:経験はありませんでした。ただ、親は会社を経営していましたので、アドバイスをしてくれます。従うかどうかは別問題ですが(笑)。反抗期がまた出てしまいます。
やはり、業界が違いますので、使えるアドバイスと使えないアドバイスがあると思いますね。両親は、日本の製品を中国に輸入して販売するという貿易関係の事業をしていました。商品は日本のドライバーなどの工具がメインでした。大体1980年代から会社を経営していました。最初は、母方のお祖父さんが工場を経営していて、中国で製品を生産していました。そのお祖父さんが、一回でもいいから世界を見てきて欲しいと、父をドイツに行かせました。父がドイツで様々な展示会を回っていて、そこで日本の方と知り合いました。本当に何も分からずに、契約してビジネスを始めて、今に至ったという経緯です。業界は違いますけれども、そのチャレンジの血は引き継いでいるのではないかと思います。
経営に関しては、何かの計画があった、あるいは経験があったというわけではありませんでした。経営学の授業を受けたりするような準備もしていませんでした。やってみる、ただそれだけです。

泉:会社設立の過程で、困ったことはありますでしょうか?

麦:まさに、困ったことはすべてウイズユーさんがやってくれましたので(笑)。あまり困ったことはありませんね。資料作りも、董さんがしてくれましたので、大丈夫でした。とても安心で、効率も大変良かったと思います。

泉:大変立派な事業計画書の草案を作っていただきましたので、こちらも非常にやりやすかったです。やはり、私も全く仕組みを知らない業界でしたので、ある程度は教えていただかないと、書類は作れないので。

麦:そこは董さんがうまいこと教えたみたいですね(笑)。僕ならおそらく時間も掛かりますし、効率も悪いと思いますので、助かりました。

泉:非常に面白い経験で、申請書類を作っていて楽しかったです。

泉:これから、経営管理を申請する方、中国の方もいれば、他の国の方もいると思いますが、何かアドバイスはありませんか?

麦:変わった経歴ですので、アドバイスと言うより、僕の感想かもしれません。
もちろん、チャレンジ精神はとても大事だと思いますし、すごく勇気も必要です。ただ、さきほどの話だけ聞きますと、僕は無計画で会社を立てたように聞こえて、無謀だと思うかもしれませんが、僕はこれでも、日本で勉強して大学を出て、大学院を出て、一応就職活動もして、会社員になって、段階を踏んで今の決断に至りましたよね。勇気は必ずいりますし、とても大事なことだと思いますが、やはり日本で会社を立てますので、日本の方とよく接して、コミュニケーションや付き合いを大事にしたほうがいいかなと思います。僕の知っている限りでは、中国人が日本で会社を始める場合は、やはり中国のビジネスをメインにする人が多く、日本とあまり関係がありませんよね。では、なぜわざわざ日本で事業をするのか、となります。もちろん、お金の面で、儲かっているからかもしれませんが。ただ、なぜこの場所でこの仕事をしているのか、利益抜きで「生きている」のかどうかという会社を経営する意味と、どのような会社を作りたいのかというビジョンについて、しっかりと考えて欲しいと思います。

泉:そうですよね。それはわざわざ日本でしないといけないのですかと、出入国在留管理局の方もたまに言いますものね。

麦:そうですね。良く考えていないと、やはり問われますし、聞かれた時に答えられなく、「あ、たしかに」となってしまうかもしれません。それを分かっていて、事業の内容を選んでいましたら良いですが。日本で会社を立ち上げるために、物凄く日本の方の力も借りて会社設立に漕ぎつけたのに、あたかも自分だけでやり遂げたような感じは良くないかなと思います。
如何なる人でもいいですが、周りの人を大事にして、しっかりと自分が何をやりたいのかを明確にすることが大切だと思います。会社を作ることは、自分の能力を問い詰めるチャンスでもあります。そして、逆に、会社を作りながら、自分の本当にやりたいことがどんどん出てくると思います。

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